2011年10月20日

双子の星プロジェクトVol.1 ご報告

双子の星プロジェクトVol.1 ご報告
門脇 篤

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宮城県大崎市中山平温泉「仙庄館」ロビー、2011.8.11

 「双子の星プロジェクト」にご参加のみなさま。その後いかがお過ごしですか。お預かりしたTシャツの方、8月中にすべて被災地の方にお渡しすることができました。ご報告が遅くなってしまい申し訳ありません。また、当初、お渡しした相手の顔写真もネットで公開するという話でしたが、集団避難所や仮設住宅を回るうちに、それは不可能だと思うようになりました。誠に勝手ながら、プロジェクトに参加された方に直接ご報告するというかたちをとりたいと思います。ご報告のかたちとしては、本レポートとDVDにした映像、そしてお渡しした相手の写真をお送りいたします。

 震災から5ヶ月目にあたる2011年8月11日、私は宮城県北部の山間にある大崎市鳴子温泉郷へと向かいました。5月11日から毎月11日に行っている「南三陸の海に思いを届けよう」開催のためです。
 南三陸の海に思いを届けるのになぜ山間にある温泉地へと向かうのかといえば、ここには南三陸町の集団避難所が多数存在し、当初は1500人あまり、5ヶ月目のこの時点でもまだ数百人を受け入れているからです。
 南三陸町では震災後、早い段階から仮設住宅を待つ避難住民をより環境のいいところで過ごしてもらおうと、大崎市をはじめ近隣の市町へと二次避難を行いました。「南三陸町から遠くなり、情報が入らなくなる」など不安も多く、町内の施設に残る人も多く見られましたが、私が鳴子温泉郷のほか、加美町でお話を聞いたところ、5月の時点で「移ってよかった。心身ともに落ち着いた」「死のうと思っていたが温泉宿の主人にいろいろとよくしてもらい、生きる希望が出てきた。来てよかった」「こどもも元気にこちらの学校に通っている」とのことでした。
 こうした町から遠く離れた集団避難所をネットで結び、南三陸町で毎月11日に開催する追悼集会を中継し、参加してもらうというのが「南三陸の海に思いを届けよう」です。毎回5〜6箇所で中継を行いましたが、8月中には仮設住宅の建設が完了し、ほとんどの方が移るということで、この日が最終日でした。
 私は毎回、鳴子温泉郷の中にある中山平温泉「仙庄館」での中継を担当しています。「仙庄館」に避難されているのは南三陸町志津川地区の方です。鳴子温泉郷は鳴子温泉、東鳴子温泉、川渡温泉、中山平温泉、鬼首(おにこうべ)温泉という5つの温泉地からなる広大なエリアで、鳴子温泉の「鳴子ホテル」と中山平温泉の「仙庄館」が当初150人強を受け入れ、エリア内最大の集団避難所でした。7月から徐々に仮設住宅への入居が始まり、人が減り始めていたのですが、この日「仙庄館」にはまだ60人ほどが避難しているということでした。とはいえ、ほぼ全ての方の入居先が決まっており、5月に初めて訪れた頃の張り詰めた空気はもうなく、南三陸の中継を見ようとロビーに集まって来たみなさんからは安堵の空気、やっとここまで来たというような雰囲気が感じられました。
 この日、中継を見に集まったのは巡回に来ていた鳴子警察のおまわりさんを含めて35名ほど。夏休みとあってこどもの姿も見られ、何回か手伝ってくれた中学生が私を見ると「ああ、今日は11日でしたね」と映像を投影するスクリーンがわりのシーツを一緒につるしたりしてくれました。
 中継は1時間ほどで終わり、最後に「双子の星プロジェクト」の話をしました。欲しい方は残ってほしい。Tシャツを贈ってくれた方への報告として写真を撮らせてもらい、ビデオメッセージもいただきたい。
 他でも配ることを考え、ここでは5枚ほどにしましたが、あっという間になくなってしまいました。中継の折、何かと手伝ってくれた中学1年生のつばさくんも欲しそうにしていたので、後片付けした後、その辺にいた子に「つばさくんの部屋どこ?」と聞いてTシャツをもっていきました。「何部?」と聞くと「吹奏楽部」とこたえていましたが、避難先の鳴子中学校には吹奏楽部がなく、正確にはこれから吹奏楽部に入りたいということでした。小学校で吹奏楽をやっていて、中学校でも吹奏楽部に入ろうと思っていた矢先の地震と津波。送り主のこすちゃんさんのTシャツと写真、メッセージが渡り、フラメンコのポーズが中学生にどう映るのかと思い、感想を聞いたところ「ダンスも表現だから、いいと思います」と言っていました。志津川高校付近の仮設住宅への入居が決まっているそうです。

 中山平温泉「仙庄館」を後にし、同じ鳴子温泉郷にある東鳴子温泉へと向かいました。実はここで旅館や商店の若旦那たちがはじめた「東鳴子ゆめ会議」と私は2006年からアート・プロジェクトを行っています。「仙庄館」とは違って家族経営の小さな旅館が並ぶ湯治場で、かつては南三陸の漁師なども湯治によく来ていたと言います。
 東鳴子温泉では南三陸町や女川町の方が数世帯ずつ小規模に避難されていて、懇意にしている「旅館大沼」と「勘七湯」に滞在している方にTシャツを渡すことにしました。
 「旅館大沼」には当初から女川町の方が5人避難されていて、いまだ同じ状態です。宿にはご婦人おふたりがいたのでこのおふたりにTシャツを渡しました。
 ひとりは島に住んでいらっしゃったそうです。もうひとりは女川原発付近にお住まいで、スーパーで働いていたときに津波が来たそうです。
 女川町では若干、仮設住宅の建設が遅れているようで、まだしばらく避難生活がつづくようでした。宿の生活は非常に快適で、宿の方たちとは家族のようだとおっしゃっていましたが、それでもやはり早く女川に帰りたいとのことでした。
 最後に「勘七湯」で南三陸町歌津地区のご夫婦にTシャツをお渡ししました。おふたりは歌津地区平成の森付近に新たに出来た小規模な仮設住宅へ入居されることが決まり、ちょうどこの日、仮設住宅の鍵をもらって帰って来たところでした。「自分たちが一番最後になってしまいましたが、とにかく行くところも決まって安心しました」とおっしゃっていました。
 「勘七湯」では当初20名ほどが避難されていましたが、このご夫婦が最後となります。仮設へ入居が決まると宿の主人が送って行ってあげていたそうなのですが、その時にまだ入居待ちをしている宿のみなさんも一緒についていって、仮設住宅をあれこれ検分して「今度のは仮設はちょっとグレードアップした」とかお茶のみ話をして帰って来るのが恒例行事になっていたそうです。
 Tシャツを渡すと奥様が「日本に生まれて本当に幸せだと感じた」と強くおっしゃっていました。「今回の震災で本当に全国いろいろなところからいろいろなものをいただきました。日本に生まれて本当に私は幸せです、とお伝えください」とのことです。
 送り主のおふたりの写真を見て「私たちと同じくらいかしら」とおっしゃっていました。東京にお住まいのお子さんが30前くらいだそうです。

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宮城県仙台市長町にある「あすと長町」仮設住宅、2011.8.26

 2011年8月26日、仙台のアートNPO「MMIX Lab」と「アート・インクルージョン」が受け入れ窓口になり、仙台市太白区長町にある仮設住宅で現代美術家・開発好明さんの「デイリリー・アート・サーカス」が行われました。そのお手伝いを兼ねて、仮設住宅を訪問、「双子の星プロジェクト」のTシャツ残り5枚を届けることができました。
 仙台長町のこの仮設住宅は250戸。入居は9割ほどだそうです。仙台でははじめまとまったグループでの入居しか認めておらず、このためほとんど応募がありませんでした。そこで今度は逆に誰でも入居OKに転換したのですが、最終的に全体で数百戸が余ると予想されています。
 私は今回初めて仮設住宅を訪ねましたが、仙台のビッグイシュー販売員・鈴木太さんも同行。鈴木さんは阪神淡路大震災の折、3週間ほど医療ボランティアで神戸に入った経験があるのですが、神戸の仮設との違いとして、「神戸では、いいことも悪いことももっと露出している感じがしたが、地域性なのか内にこもっている感じがする」と言っていました。確かにこの日、仮設住宅の真ん中にある広場で写真のような面白いことをやっていたにも関わらず、出て来る方は少なく、では人がいないのかといえば、パーソナル・サポート・センターという仙台市の委託を受けた団体のスタッフが一軒一軒回ってようすをうかがっているのが見えたのですが、家の中にはいらっしゃるようでした。外に出て来て、気軽に世間話をできそうな方もちらほらいて、そうした方たちにTシャツをお渡しすることができましたが、おそらくそうした方には何の問題もなく、問題は家から出て来ない方たち、そうした「積極的でない」方たちだろうなと思いました。これはコミュニティづくりやまちづくりなどでも同じことで、そうした方たちをこれまでいかに外に出すか、どうやって参加してもらうかを問題として取り扱ってきたわけですが、ここ仮設住宅ではそれが地域の活性化の問題ではなく、孤独死の問題、つまり死ぬか生きるかの生存の問題となっています。
 アート・サーカスの写真を撮っていると「俺の写真も撮ってくれ」と声をかけてくるおじさんがいました。さっそくTシャツの話をすると迷わずピンクを選んでいました。仙台市太白区の津波の被害がなかったエリアに住んでいましたが、地震で家が壊れ、仮設へ。本当は普通のアパートに入居したかったそうなのですが、犬を飼っているのでなかなか入居できる物件がなく、本当は入りたくなかったものの、仮設に入居することになったそうです。誰もやる人がいないからと自発的に草刈りをしていたり、近所の人とものすごく仲良くやっているので「仮設はどうですか」と聞くと「ひどい」「早く出たい」と言っていました。
 そのおじさんが草刈りをしている仮設の入り口で少し立ち話をしていると、男性が通りかかり、草刈りおじさんが「あんたもTシャツもらったらいいっちゃ」と声をかけました。聞くとお隣さんだそうで、仙台市宮城野区で3メートルの津波の被害にあい、仮設に入ることになったとのこと。
 仮設住宅の広場にアートサーカスを見に3人組のおばちゃんたちがやって来たのでちょうど残っていた3枚を渡しました。亘理と石巻で被災された方でした。
 
 以上、みなさまからお預かりした15枚のTシャツをすべてお渡ししました。私もこのプロジェクトを通して集団避難所や仮設のみなさんとお話をすることができました。どうもありがとうございました。
 今後、このプロジェクトがどうなっていくのか、交流が生まれるのか生まれないのか、まったくわかりませんが、少なくとも、宮城県にはみなさんが着ているのと同じ色をしたこの世に2枚しかないTシャツを着た家を津波で流されたか地震で失った方がいらっしゃいます。その事実は変わりません。プロジェクトに参加していただき感謝しています。
 また、この企画を立て、実施してくださったさきらボランティアコミュニティのみなさまにもお礼を申し上げます。どうもありがとうございました。



門脇 篤



 
posted by 門脇篤 at 00:38| 滋賀 ☁| Comment(0) | 双子の星プロジェクト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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